歌舞伎風俗通信

歌舞伎コラムです。
以前某雑誌に連載していたものの書き直し再録です。
その他いろいろうざいウンチクです。楽しんでいただけると嬉しいですー。
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# 「外郎売」について:03=お菓子の「ういろう」=
上にも書いたように、初代「陳宗敬」さんの息子の「大年宗奇」さんが、「お菓子のういろう」のレシピを作ったようです。

今の「練羊羹」の製法が江戸市中に広まったのが寛政(1700年代の終わり)のころらしく、江戸中期です。室町時代にあって「ういろう」が今売っているものに近い品質だったとしたら、
「小豆を煮てアクを取り、裏ごしする」「煮溶かして精製した寒天で固める」という高等技術を駆使した夢のお菓子だったということになります。
昔の羊羹は煮てつぶした小豆に砂糖と小麦粉か山芋を混ぜて、蒸しただけのもののようです。それはそれでおいしそう。
=04:お菓子の「ういろう」=

前章にも書いたように、初代「陳宗敬」さんの息子の「大年宗奇」さんが、足利幕府にまねかれて京にのぼり、
「お菓子のういろう」のレシピを作ったようです。
「お菓子のういろう」は当時(足利幕府のころ)の京都で外国使節の接待に使われました。
元が滅びたのが1368年、足利義満が明と交易を始めたのが、1400年ごろですので、
だいたいその時代の話でしょう。

今の「練羊羹」の製法が江戸市中に広まったのが寛政(1700年代の終わり)のころらしく、江戸中期です。
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# 「外郎売」について:02=「外郎」という名称の由来=       
=02:「外郎」の名前の由来=         

「外郎(ういろう)」という日本語では聞きなれない言葉の意味についてです。
字のまんま「外の男(人)」です。
詳しくいうと、中国ではお金を出して官職を買うシステムがあったそうで、
定員外のそのお役人を「外郎」と呼んだようです。
日本にもお金を出して官位、官職を買う「揚名」という制度がありましたが、こっちは買うのは名前だけです。
名簿に名前が揚がるので「揚名(ようめい)」といいます。職権はナシです。
アチラの国のは名前だけではなく、ちゃんと実権もあったようです。

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# 「外郎売」について01

「外郎売」についてのあれこれ
以前あれこれ調べて、自サイトにアップしたのですが、サーバーがちょっとココロモトナイ状態ですので、
こちらに加筆しつつ、転載します。

「外郎(ういろう)」といえば現代では、ようかんに似た名古屋名産のお菓子のことだと思います。
しかし、歌舞伎の「外郎売」で売っているのは、丸薬です。
小田原に「ういろう本舗」という店があり、今でもほぼ同じものを買うことができます。

どちらが正しく「ういろう」なのか。歌舞伎では中国から伝わってきたときの様子などを得々と述べますが、
本当にセリフの通りのルーツなのか。
いろいろ調べました。


=歌舞伎の「外郎売」作品解説=

セリフの全訳です。長いので3つに分けてあります。
=全訳[1]=
=全訳[2]=
=全訳[3]=

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# 江戸の遊郭:03「深川」
で、深川です。深川だけはちょっと事情が違います。
吉原と並ぶ一大遊興街ですが、ここは深川八幡宮の門前町なのです。
八幡様は、清和源氏の守り神ですからおろそかに扱ってはいけません。
というわけで幕府もけっこううるさく、深川ではあまりおおっぴらに「酌婦」も置けませんでした。
という事情から、この街では「芸者」たいへん多く、しかもかなり「売色」したのです。
とはいっても「遊女」のように「お座敷」=「ベットイン」というわけではなく、あくまで非公式に、個人的にエッチするのです。
だから何度かお座敷に呼んでなじみになって、芸者のほうからも好意を持ってもらわないと、なかなか出来ませんでした。
こうやって「芸者」とエッチできる関係になるのを「おとす」と言います。
完全に客と恋人関係になった遊女を、「おっこち」と言います。「○○吉(遊女)は、×五郎(客)の「おっこち」だ」みたいに使います。
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| comments(0) | trackbacks(0) | 20:49 | category: 江戸の遊郭 |
# 江戸の遊郭:02「芸者」
「芸者」というのは文字通り「芸をする」人です。三味線を弾いたり義太夫を歌ったり、踊りを踊ったりします。プロの遊芸者です。
彼女らは遊女のように売色はしません。

当時出回っていた遊郭ガイドブックを見ると、遊女=いくら、芸者=いくら、のように並べてお値段が書いてありますが、
これはあくまでお座敷での拘束料です。
「遊女」だけ呼んでも間がもたないので、「芸者」も呼んで歌ったり踊ったり、楽しいトークをしてもらったりするのです。
ベットインの時間になると芸者は帰ってしまいます。
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| comments(0) | trackbacks(0) | 20:48 | category: 江戸の遊郭 |
# 江戸の遊郭:01「遊女」と「芸者」
とりあえず、「遊女」と「芸者」の違いを説明するために書きました。
明治以降の花柳界には「芸者」しかいないので、このふたつのイメージが「芸者」の名のもとに混在、
江戸の「遊女」と「芸者」の区別がわからなくなりつつあります。

江戸時代は「遊女」と「芸者」はまったく違うものだったのです。

細かいシステムや、街や時代による違いなどを書き出したらキリがないのでだいたいです。
キホン的に江戸の話を書いていますが、上方もシステムはだいたい同じです。上方の「芸者」は江戸より態度が大きく、あいそがなかったらしいです。

道中の宿場町については状況がもちろん違いますが、これは必要になったらまた書きます。
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| comments(0) | trackbacks(0) | 20:32 | category: 江戸の遊郭 |
# 大江戸身分事情
とある質問サイトで回答した内容に書き足し、編集したものです。

「江戸時代、士農工商の身分を越えて、リクルートはできたのか」という質問への答えです。
他の回答に「『士農工商』は明治時代に作られ。広まった言葉」、というのが複数あったのも受けています。

「士農工商」は、明治に入って作られた言葉ではなく、ちゃんと江戸時代の書物にも出てきますよ。
ただ、使われかたのニュアンスが違うのです。

江戸幕府は、すべての職業をこの4つに分類して、全ての国民は、そのいずれかに属していなければならない、と言ったのです。
いわゆる、ちゃんと働いていない「遊民」を禁止したということです。

というわけで当時も「士農工商」は概念として存在はしたけど、「上下関係」というニュアンスは強くなかった、
と思う方が正しいと思います。
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| comments(0) | trackbacks(0) | 05:07 | category: 江戸のうざいウンチク |
# 鳴かないホトトギスについての誤解

「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」
以下3句、
有名な3人の戦国武将の、「鳴かないホトトギス」に対する三様の態度を描写した俳句は有名ですが、
一般的に思われているシチュエーションに誤解がある気がするので、書きます。

ホトトギスを鳥かごに入れてお城の大広間に連れてきて、「さあ鳴け」。
で、鳴かないホトトギス相手に苦慮するお殿様と家来

というのが一般的なイメージかと思いますが、
これ、アンデルセンの「ナイチンゲール」からの連想でしょうか?




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| comments(0) | trackbacks(0) | 19:37 | category: 江戸のうざいウンチク |
# 大江戸男色事情:10「まとめ」
=8: まとめ(いちおう)=

だから、江戸時代のひとびとの同性愛観というのは、たぶん、

・「衆道」という異性愛者の性風俗と混同している。
同性愛者でも「前髪」を相手にしているかぎり「衆道好きの異性愛者」と区別できないので、ある意味寛容に見ている。
・「同性愛」そのものについては現代よりは日常的に見聞きしたろうけど、関係ないからムシ、黙認。
そもそもあまり理解していないから、「衆道」との混同もあり、おじさんが美少年を襲うと思いこんでいる。

といったところだと思います。

「自己責任(笑)で勝手にやってるぶんには干渉しませんが、見えないところでやってくださいね」というスタンスだとすれば、今の社会とあまり変わらない気がするんですよね。

なんか、長いワリに面白みのない結論ですが、そんなもんでしょ、おなじ日本のちょっとだけ昔のことなんだしいい。
全部読んでくださったかたありがとうございます。





=おわり=
| comments(1) | trackbacks(0) | 23:40 | category: 大江戸男色事情 |
# 大江戸男色事情:09「いろいろ細かい用語」
 = 7: いろいろ=

あんまり関係ない内容も含まれます。思いついたことてきとう。
トピックスってことで。

近世において、公的に認められた制度ではなくても、世間的に殆ど公認され、まかり通っていた風習はいろいろありますが、非官許遊郭での売色とか。
「妾制度」もそのひとつでしょう。
まあ現代も存在しますが、大正ごろまではかなり堂々と行われていました。

ところで、平安期が「一夫多妻」と誤解され、なんだかいまだに学校でそんなこと教えてるらしいですが、いいかげんにしろですが、その実体も、
「北の方」、つまり寝殿造りの北の対に住むのが「正妻」ですよ。
あとは「お局」、つまり東の対や西の対、またはその間に作られた局に住む、文字通り「側室」です。脇の部屋に住む人。
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| comments(0) | trackbacks(0) | 23:39 | category: 大江戸男色事情 |
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