歌舞伎風俗通信

歌舞伎コラムです。
以前某雑誌に連載していたものの書き直し再録です。
その他いろいろうざいウンチクです。楽しんでいただけると嬉しいですー。
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# お芝居の「外郎売」について  
     
お芝居の『外郎売』         

歌舞伎の演目としての「外郎売」についてです。
一応、演目解説と全訳もあります。

=演目解説
=全訳:1
=全訳:2
=全訳:3



まあ、享保三年に二代目団十郎が初演したとか、
あまりにはやってたので見物がみんなセリフを覚えてしまい(このへん江戸初期においても市井の識字率がかなり高かったという裏付けになると思います)、
大阪で出したとき、見物のひとりが先にセリフを全部言ってしまったので(やはり新興都市である江戸の役者への対抗意識とかあったでしょうね)、団十郎、こんどは後ろから逆に言ってみせたとか、
そこらへんはわりと有名なので流しとくとして、

『歌舞伎十八番』のひとつにこの『外郎売』は入っておりますが、
『歌舞伎十八番』自体、ストーリー的に首尾一貫したお芝居を18本、というものではなくて、むしろ市川家の荒事のいくつかのパターンを分類、整理した観がございますから、
この『外郎売り』も、長い狂言(お芝居)である「曽我もの」の一場面として前後の連関はあまり考えずに楽しむ、一種のショーと思えばわかりやすいかと思います。
=歌舞伎十八番について=いちおうまとめました。
江戸中期、天保三年(1832年)に七代目市川団十郎が「歌舞伎十八番」を定めましたが、
七代目の『外郎売』は、この長セリフは全部は言わず、所作(踊りね)を混ぜてごまかしていたようです。
十一代目団十郎が海老蔵を襲名したときも所作混じりの舞台だったようです。

昔ながらの早口言葉を言うようになったのは、当代、十二代目団十郎の海老蔵襲名の時からです。
とはいえ、十一代目のときも所作に逃げてばかりではなかったようで、
これはフィクション入りますが宮尾登美子女史の「きのね」、十一代目団十郎がモデルですが、
やはり襲名披露の「外郎売」の早口言葉に四苦八苦する光景が出てきます。
そして、先代も当代も、『外郎売』出すと必ず評論家に文句書かれてます(笑)。
曰く「海老蔵は早口言葉さえ言えればいい役者だと思って勘違いしている」。
いやそんなことないと思う・・・。なぜ、毎回?
今の海老蔵くんも言われるのかなあ。 (襲名前の記事です)

というわけで、初演後しばらくしてセリフ全部言われることはなくなり、戦後に至るまで誰も聞くモノがなかった『外郎売』ですが、初演当時に談州楼焉馬という人が『うゐらう』の口上を書いて(たぶん)出版しております。このへん資料少ないので「たぶん」で許してください。
市川家について言うと、明治の名優九代目団十郎も『外郎売』を出す気まんまんだったようで、自宅で練習したりお弟子さん(ていうか六代目菊五郎)に言わせたりしてたそうです。
現行上演のルーツはこのあたりのようです。
市川家が独自のテキストを保存していたのか、上の談州楼の書いた物がテキストなのか、
NHKがアナウンサーに練習用に言わせている『外郎売り』の元テキストはどれなのか、は、わかりません、すみません。

今の尾上松緑くん(くん付け・・・)が、お祖父さんである死んじゃった松緑さんから唯一きちんと教わったのが、この『外郎売』の口上だと聞いたことがあります。
こういう情報はえてしていいかげんですから「唯一」はハナシ半分ですが、
何が言いたいかというと、松緑が『外郎売り』をとりあえず教えた、という点が興味深いなあということです。
音羽屋一門とはいえ、紀尾井町=松緑さんとこの家系は荒事がウリ、そして、『外郎売』のセリフをやっとけば「荒事」の言い回しはわりとクリアできちゃうんじゃないかと思います。
例えば、『外郎売』の最後の部分は

…今日(こんにち)おいでのいずれも様に、上げねばならぬ、売らねばならぬと、東方世界の薬の元締め、薬師如来も照覧あれと、ホホゥ敬って、ういらうはいらっしゃりませぬか。

ですが、『勧進帳』の「山伏問答」の最後のところは

・・・その徳広大無量なり、肝に彫り(えり)付け、人にな語りそ、あなかしこあなかしこ、大日本の神祇、諸仏菩薩も照覧あれ、百拝稽首(ひゃっぱいけいしゅ)畏みかしこみ 謹んで申すと云々、かくのとおおぉり。

字だけだとわかりにくいのですが、要するに、言い回しがとても似てるのです。
くそう、両方せりふを全部完璧に覚えてるんですが、字にするとコピペなんだか覚えてるんだか誰にもわからない…。

きゃびんさまにいだいた資料に江戸中期の「外郎売」の役者絵も載っていました。




モデルは五代目団十郎、「五粒(ごりゅう)」の俳名で親しまれた大立者です。
けっこうやさしそうな顔ですね。曽我五郎ですから荒事仕立てのはずですが。
そういう意味でも役者さんの面影がしのばれて興味深いかと。

下にある文字は
「春好画
うゐらううり
とらや藤右衛門」

と読めます。
「外郎売」の最初のセリフ「拙者、親方と申すは・・・」の意味は、訳ページにあるように
「拙者は、(このように薬売りですが、親方がおります、その)親方である人と申しますのは」と訳します。
つまり
「ういろう」を売っているこのひとは「虎屋籐右衛門」ではなく、下っ端の薬売りなのですが、
江戸時代において、すでにこのへん誤解が生じていたことがわかります。


さて、せっかくなので書かれた文字も解読してみました。ビミョウに今我々が知っているセリフと言い回しが違うのがわかります。
歌舞伎のセリフっぽいと申しますか。
合ってると思うんですが、江戸変体仮名独学なので違ったらごめんなさい。


ほとんどそのまま活字化、改行もママ。
※は字が消えていたりで判読不能。
当時「仮名」として使われていた「漢字」は、そのまま「仮名」になおしました(志、由、間など)。句読点がないので適宜空白を補いました。
濁点と小さい「つ」の表記はてきとうにやりました。
ひらがなだらけなのは、逆に当時の江戸の識字率の高さを表していると思います。
「いろは」さえ読めればたいていの出版物は読めるように配慮されていたのです。


うゐらう売せりふ※※※りまくるゆえ ぬきぬき入れり

イヤさいぜんより くすりのこうのうばかり 申ても 御ぞんじの
ないかたには しやうじんの こしようの丸のみ しらかわよふね
さらば 一りうたべかけて 其きみあいを  おめに
かけませう まず此くすりを 一りう かう したの上へ
のせまして ふくないへ おさめますると どうもいへぬは いかんはい
かんが すこやかになってくると 第一此くすりの きやうには、舌の
まわる事が ぜにごまがはだしでにげる ひょっと舌が回って
くると やもたてもたまらぬじゃ そりやそりやそりや
まわってくるは まわってきたは はしってゆけば
やいとをすりむく さんりばかりか ふじさはひらつか
大いそかしや 小いそのしゅくを 七つおきしてさうてん
さうさう 相州小田はら とうちんかう かくれござらぬ おんうゐらう
にやくなん女 きせんくんしゅの 花のお江戸の花うゐらう あれあの花をみて
心をおやわらぎやつ という うぶ子はう子にいたるまで 此うゐらうのごひゃうばん  御ぞんじないとは
申されまいまいつぶり つのだせぼうだせ ぼうぼうまゆに うすきねすりばち ばちばちぐわらぐわらぐわらと はめを
はずして 今日おいでの いづれもさまへ うらねばならぬと いきせいひっぱり
やくしにょらいも しやうらんあれと ホホうやまって

チナミにこのセリフ、
「ういろう本舗」でもらえるパンフレットに載っている「外郎売り全文」と、セリフもですが、仮名遣いにいたるまでがとても似通っています。
原本の文字資料が存在して、そこから抜粋して載せたのだろうと想像します。
「ういろう本舗」の資料も同じルーツの原本を持つのだろうと思います。
で、いったい、当時上演された言葉としては何が正しいのか、
この原本が、享保三年ごろに出版されたという「談州楼焉馬」の書いたものなのか、そのへんを正確に知るには、国会図書館や早稲田の演劇図書館をハシゴしなきゃダメかと。
ちょっと待って、今忙しいから(仕事が遅いだけです)。


次章は、「外郎売」上演当時の発音、発生についての資料です。興味深いのでご覧ください。
| comments(0) | trackbacks(0) | 19:37 | category: 「外郎売」について |
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