歌舞伎風俗通信

歌舞伎コラムです。
以前某雑誌に連載していたものの書き直し再録です。
その他いろいろうざいウンチクです。楽しんでいただけると嬉しいですー。
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# 江戸の遊郭:03「深川」
で、深川です。深川だけはちょっと事情が違います。
吉原と並ぶ一大遊興街ですが、ここは深川八幡宮の門前町なのです。
八幡様は、清和源氏の守り神ですからおろそかに扱ってはいけません。
というわけで幕府もけっこううるさく、深川ではあまりおおっぴらに「酌婦」も置けませんでした。
という事情から、この街では「芸者」たいへん多く、しかもかなり「売色」したのです。
とはいっても「遊女」のように「お座敷」=「ベットイン」というわけではなく、あくまで非公式に、個人的にエッチするのです。
だから何度かお座敷に呼んでなじみになって、芸者のほうからも好意を持ってもらわないと、なかなか出来ませんでした。
こうやって「芸者」とエッチできる関係になるのを「おとす」と言います。
完全に客と恋人関係になった遊女を、「おっこち」と言います。「○○吉(遊女)は、×五郎(客)の「おっこち」だ」みたいに使います。
とにかく「気位が高く、意地と張りで男をふりつける」のが深川芸者の「売り」だったわけですが、実際、深川は高級遊興地でしたから芸者のレベルも高く、そうそう手が出せるものでもなかったようです。
もちろん、稼ぎの悪い芸者さんの中にはどなたとでもほいほい「いたす」かたもいたでしょう。
これを「見ず転」と言います。相手を見ないで転ぶことです。この用語は明治以降も使われていました。

当時の深川の客たちは、人気のある、態度のでかい(笑)芸者を「おとす」ことを手柄にして、いっしょうけんめい通ったのです。

深川芸者は「羽織芸者」、略して「はおり」とも呼ばれました。
男のように羽織を着てお座敷に出たからですが、これは「売るのは芸だけ、羽織の下は売らない」という彼女らのプライドをあらわしていました。
深川を舞台にした「梅ごよみ」に出てくるの芸者たちは「米八(よねはち)」「仇吉(あだきち)」と男名前ですが、深川の芸者はみんなこうでした。
これも彼女たちの「意気と張り」、きっぷのよさの象徴です。

もちろん、顔や肉体だけを目当てにせず、彼女らの芸事のレベルの高さを鑑賞して楽しめる教養と素養が客の側にあったからこそできたハナシです。
| comments(0) | trackbacks(0) | 20:49 | category: 江戸の遊郭 |
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