歌舞伎風俗通信

歌舞伎コラムです。
以前某雑誌に連載していたものの書き直し再録です。
その他いろいろうざいウンチクです。楽しんでいただけると嬉しいですー。
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# 大江戸男色事情:07「芝居茶屋とお相撲」
= 5: 芝居茶屋とお相撲のはなし=

もちろん、芝居町(しばいちょう)では役者の売色が行われていました。
幕府が「吉原」と「芝居町」を「二大悪所」として厳しく監視したというあたりで、すでに実体は伺えるかと。

役者は「芝居町」、芝居小屋のある町の区画の中にしか住めないきまりでした。だから「売色」もだいたい「芝居町」で行われたのです。
まあ、金のある有力な役者さんは「別荘」を作って好き勝手な場所に住んだので、これは有名無実化した規則ですけど。
というわけで、芝居町での売色が、男色売春の需要を一手に引き受けた結果、「若衆茶屋」が衰退した、という見方もできるかもしれません。
あ、「一手に」じゃないですね、お相撲もありますね。
どちらも「茶屋」があるのがポイントです。



相撲取り
「芝居茶屋」「相撲茶屋」は、席の確保や飲食物の手配、幕間の休憩場所の提供、とともに、役者さんとの逢引きの手引きもしました。
もちろん「ひいきにしてる役者さんに会えてるんるん〜」みたいなお客さんが殆どだったはずで、
えっと、スポンサーの娘さんが広告代理店のツテでジャニーズに会うようなかんじでしょうか。
そこを、でも、なんとか「いたしたい」という交渉をしてくれるのも。茶屋だったわけです。

お相撲事情は全然詳しくないので書けませんが、それこそ同性愛的な「スポーツマンなアニキ」の世界だと思いますが、だからこそというか、資料は見つけにくいだろうと思います。

と言いつつ一応書いてみると(書くのか)、
当時の「関取」には必ずパトロンがいたのは事実です。「タニマチ」です。
「贔屓客(たにまち)」は何人かいます。これは折りにふれて金品の贈り物をくれます。
その中で金と力のある、安定して金品をくれるような「贔屓客」が「旦那」と呼ばれて、殆ど「ご主人」のような立場だったようです。
あと、今みたいな「部屋」というものはなく、もちろん相撲協会もなく、強い力士がそれぞれ自分の家に弟子を寄宿させてメンドウをみていました。
これはまあ、職人や役者さんが弟子を取るのと同じやりかたですから、特に「アヤシイシステム」ではありませんが。
ただ役者以上に、相撲取りのこのような生活は「ご贔屓」や「旦那」の支援なしではなりたたなかったようです。なので「役者」よりも「相撲取り」のほうが、ご贔屓への依存度はかなり高かったと思います。
そういう意味で「旦那」の要求はいろいろな意味でかなり通ったのではないかなとは思います。

もちろん「旦那」のほうにも「惚れた弱み」があるので「関取」のワガママをいろいろ聞くわけですが。
そのへんのかけひきっぷりが「男芸者」と呼ばれるゆえんでしょう。
そこに「ファン心理」以上のものがあるかどうは、完全にケースバイケースだったのではないかと思います。

なんといっても、相撲取り、月代剃っていませんからね。「前髪」ですよ。
若衆の髪型です。「アリ」なのです。

相撲取りが出てくる有名なお芝居「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょう くるわにっき)」で、若旦那の与五郎(よごろう)が贔屓の関取の濡髪長五郎(ぬれがみ ちょうごろう)と会話するシーンがありますが、まるで初々しいカップルのようです。

意識的にそういう演出です。
ストーリー上では与五郎は遊女の吾妻(あずま)ちゃんと相思相愛なんですが。

また、当時の相撲取りは「スポーツマン」というか、「街の侠客」に近かったようで、それがパトロンを持って見せ物でケンカしていた、という図式の考え方も、少し強引ですがアリかと思います。
とは言っても相撲取りは決して安っぽいものではなく、本当に大スターでした。
ひとりひとりの相撲取りがというか、「相撲取り」という存在自体が、気は優しくて力持ち、あこがれの対象だったのです。

お芝居の「ご贔屓」の話にもどります。
やはり一般的な認識は、キレイな女形(おんながた)や若衆役の役者さんが、パトロンにどうこうされる、という、「異性愛」に限りなく近いものだったと思います。
ていうかそういう枕絵(変換しねえよ)じゃないと売れないと思うし。
ていうか、上の方にも描きましたが、「同性愛もの」の春画そのものが殆どありませんしね。

関係ないですが、あの時代の春画のナニやソレの大きいのは世界的に有名なようですが、
あの不自然なほどの大サイズの理由について、俺なりの意見を書くと、
「大きく描くと体位の自由度が上がるから」だと思います。

また、浮世絵の春画は「なんじゃこりゃ」というほどトンデモナイ体位でやってる絵が多い上に、殆どが着衣エッチなので、
どこでどうつながっているのかわかりやすくするためには、まあ、大きめに描くのがよかったのだろうとも思います。
浮世絵でも初期のものは常識的なサイズだったようですよ。

当該部分の周囲にココロの中で円を描き、円の中は拡大図、と思ってみていただくとわかりやすいんじゃないかなと思いますです。

チナミに、もちろん女のお客さんもいました、芝居町。
というか若衆茶屋にも女性客いました。女装してたんだから、レズ<ビアン?
と書いたら知り合いの女性が「美少年に女装させてエッチしたい気持ちすごくわかる」と言いました。そういうもんですか。

女の人が男を買ったり囲ったりする行為については江戸前半期のほうが盛んで、ごく普通に行われていたようです。
「囲っておく」系は、戦前くらいまでわりと普通だったかもしれません。

「好色五人女」は西鶴だから江戸前半の本、ここにも、男子禁制の武家のお腰元やお大店の奥様に、あの手この手で間男を引き合わせるテクニックが事細かに書かれています。ステキな本だ。

中世のおおらかでエネルギッシュな雰囲気がまだまだ江戸前半期には残っていましたから(そのぶん治安は悪くて住みにくかったろうとも思いますが)、そういうことも性風俗のありように大きく関係していたと思います。
「キレイなら男でもいいや」というアバウトすぎるセックス観も、中世特有の雰囲気なしには語れないのかもしれません。

そういえばお芝居で言うと、かの森欄丸も「信長となんかあった」役では絶対出てきませんよ。
蘭丸の恋人の腰元ちゃんとか出てきます。
消費者の大多数を「異性愛者」が占める状態で「同性愛」ネタがまかりとおるほどには「同性愛」は「認知」されていなかったということです。今と変わらないと思います。
| comments(0) | trackbacks(0) | 23:10 | category: 大江戸男色事情 |
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