歌舞伎風俗通信

歌舞伎コラムです。
以前某雑誌に連載していたものの書き直し再録です。
その他いろいろうざいウンチクです。楽しんでいただけると嬉しいですー。
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# 大江戸男色事情:04 「上方の若衆屋」
=上方の「若衆屋」=

上方には、江戸の芳町のような「若衆屋」だけの色町はなく、フツウの遊女街にそれぞれ1、2件づつ混ざって若衆屋があったようです。
また、その場で「若衆」を買ってお座敷で遊べる店はなく、「置屋」だけでした。
遊女のいるフツウの「茶屋」に「若衆」も呼ばれていったようです。

 *一応、遊郭お店用語
 揚屋=お座敷だけ、遊女はいない、「置屋」から遊女を呼んで遊ぶ。
 置屋=お座敷がない、遊女を抱えて住まわせている。遊女は「揚屋」や「茶屋」に呼ばれていく。
 茶屋(遊女茶屋)=お座敷もあり、店によっては抱えの遊女もいる。置屋から遊女も呼べる。
 一般に「揚屋」のほうが「茶屋」より店としてのランクは上だが、揚屋は高いのでだんだん衰退しましたよ。


チナミに今の売色と違って「茶屋遊び」は「エッチ」だけが目的ではなく、楽しくお酒のんでおしゃべりしたり踊ったりも大切でした。しかもいざベットインしても「体調悪いし」でさせてもらえないことすらありました(ひどい・・・)。
そうやって遊女と遊ぶ、同じ「茶屋」に「若衆」も呼ばれて行ったわけです。
しかも上方の「若衆」は、全員「女装」だったのです。区別着きません。

あと上方だと、「若衆」は全て、少なくとも形の上ではどこかの役者さんのお弟子だったようです。そういう決まりになっていたみたいです。

五代目松本幸四郎は上方(京)の生まれでハタチ近くなってから上京し、はじめ五代目岩井半四郎(女形)、後に五代目団十郎の弟子になって二枚目系の悪役で名をはせたかたですが、
京では「若衆」をしていたのは事実です。
これが「一応役者らしいことをしながら売色も」だったのか「役者の弟子はカタチだけで、もっぱら売色」だったのかがビミョウなところなのです。いいけど。

チナミに五代目団十郎は、息子の六代目をそっちのけにしてこの幸四郎をかわいがりました。
結果として五代目の死後、この二人はむちゃくちゃ仲が悪かったのです。てか幸四郎がものすごく六代目団十郎をいじめたらしいのです。
六代目団十郎は幸四郎のいじわるをやりかえすのには成功して、幸四郎よりも格上の役者にはなれたのですが、
役者そのものがイヤになって、早くに引退したのでした。
まあ、父親の五代目団十郎と幸四郎とは当然なんかあったろうと思われますし、「役者」というか、この世界の中の同性愛的な雰囲気がイヤになったのかもしれないなと想像します。
「大の男が顔におしろい塗ってるのがもうナサケなくてイヤ」とか言ってたらしいですよ。
| comments(0) | trackbacks(0) | 22:33 | category: 大江戸男色事情 |
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