歌舞伎風俗通信

歌舞伎コラムです。
以前某雑誌に連載していたものの書き直し再録です。
その他いろいろうざいウンチクです。楽しんでいただけると嬉しいですー。
<< June 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
# スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | - | | category: - |
<< 大江戸男色事情:01 | main | 大江戸男色事情:03「若衆茶屋」 >>
# 大江戸男色事情:02「衆道文化」
= 2: 衆道文化=

ここで、江戸時代の「同性愛(というかホモセクシュアル)」には、二つの面があることを見落としてはなりません。
ひとつは、つまり、有名な「衆道」です。
一般に「江戸時代は同性愛が盛んだった」と言われる根拠は、「衆道」の存在ですね。
手に入りにくい西鶴の「男色大鏡(なんしょく おおかがみ)」を引っぱり出すまでもなく、「好色一代男」にも、近松の「心中万年草」にも、さらに歌舞伎十八番にも、衆道のシーンは出てきます。
衆道関係の本も、プロの若衆たちの評判記も、若衆歌舞伎の頃の役者評判記も残ってますしね。

ただ、「衆道」でたいせつなことは、恋愛対象になるのは必ず「前髪の少年」だということです。
「前髪」、つまり元服前の状態です。この状態の男を「男」と見なさないのは少なくとも平安時代から続く伝統です。

あれは、「同性愛」というよりも「異性愛」のひとつのバージョンだと思ったほうが正しいと思います。
つまり彼らに懸想したり、「若衆茶屋」で彼らを買ったりする男たちは殆どが、そのへんの普通の「異性愛者」だったということです。

「好色一代男」の主人公、世之助は「この上ない女好き」という設定ですが、ナチュラルに「男」を買います。
「男」を買うと言いながら、それは買っている自分自身とは違う意味での「男」であり、チンポ付いてておっぱいなくて、でも「女の機能」を果たす、「男性」でない「何か」として認識されて」いたように思います。
だから、彼ら「若衆」は「前髪」で「髪の後ろ(たぼ)を大きくふくらませ」、「振り袖」を着て「襟をぬく」のです。
とくに京阪は、売色の「若衆屋」の少年(というか年増もいたけど)達は完全に女装だったようです。
さらに、これらの「衆道」風俗が盛んだったのは完全に江戸の初期に限られ、徐々に衰退し、
江戸後期、天保の改革の時点で若衆茶屋は江戸でも京阪でも殆ど姿を消します。需要を失ったということでしょう。

たぶんですが、女性というのはかなり手間暇かけないと本当にキレイにはならないのではないかと思います。
江戸は開府直後、京阪は戦乱の直後の復興期で女性もあまりキレイにしていられなかった時代には、美少年のほうが異性愛者にとってすら好ましかった。
でも時代が下り、女性が化粧してキレイになるにつれて「若衆」は飽きられた、といった面があるのではないかと思います。
あとは、やはり江戸の初期は「侍気質(かたぎ)」とか「侠客」「男伊達」みたいな男臭さをウリにした気風がもてはやされた時代ですから、これは直前の血なまぐさい時代の名残でしょうが、やはり「おなごに簡単に惚れるのはかっこわるい」という妙なこだわりがあったようです、硬派ですね。
だからって「少年ならいい」てのもわかりませんが(笑)、まあ、そういう雰囲気はあったでしょう、こうなると一種のファッションです。

ただ、そこに「モノホン」の同性愛者が当然何割か混ざっているわけで、それが誤解を大きくしているのだと思います。
「モノホン」は「モノホン」として喜んで少年とセックスしていたと思いますが、一般的には、「衆道」は、「異性愛者の文化」だったというのが正しいと思います。

江戸末期になると「衆道文化」そのものが下火なわけですから、衰退した「若衆茶屋」のお客さんは完全な同性愛者ばっかだったろうなと思います。
それでも、市中のヒトビトは「若衆買い」という「異性愛文化」としてその行為を見ていたのだろうと思います。

先にも書きましたが、「男色」、
「だんしょく」と読むと男臭い雰囲気がただよってデンジャラスですが、この当時の読みは「なんしょく」です。
一字違うだけでずいぶん雰囲気が違います。「にょしょく(女色)」とも音が似通いますしね。
あくまで「おんなの代替品」だと思います。

なので西鶴の「男色大鏡(なんしょく おおかがみ)」も、一般にイメージされるような同性愛者の恋愛ものがたりではなく、若衆買い文化のエピソード集というかんじです。
もちろんシロウトさん同士の恋愛話も乗っていますが、あくまで男×若衆 なのです。

「読み」ネタでもうひとつ。
「念者」という単語を「ねんじゃ」と読むと、衆道の年上役のことですが、「ねんしゃ」と読むと「物事を念入りにする神経質なヒト」のことです。全然違います。
「与話情浮名横櫛」、切られ与三郎を書いた「瀬川如皐」が「ねんしゃ」だったそうです。仕事遅くて役者さん泣かせ。衆道ではありません。

そして、時代が下り、性風俗文化が成熟していくにつれて、当然「正しい意味での同性愛文化」も成熟します。
これは現代のこの業界において経験的に言えるらしいのですが、「同性愛者が少ないイナカほどジャニ系の美少年がモテる、都会では男臭いのやおっさんっぽいのがモテる」。
同性愛者としての経験値が上がるにつれて、「キレイな夢」でなく「リアルな萌え対象」が見えてくるらしいです。
というわけで、同性愛者にとっても「若衆茶屋」で美少年を金出して買う時代は終わって、同性愛者同士の独自のコミュニティーの中でそれぞれタイプの相手お探す時代になったんだろうと思います。
 
| comments(0) | trackbacks(0) | 22:14 | category: 大江戸男色事情 |
# スポンサーサイト
| - | - | 22:14 | category: - |
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://somikakuda.jugem.jp/trackback/78
トラックバック
Archives
Comments
Mobile
qrcode
Search this site
Sponsored Links