歌舞伎風俗通信

歌舞伎コラムです。
以前某雑誌に連載していたものの書き直し再録です。
その他いろいろうざいウンチクです。楽しんでいただけると嬉しいですー。
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# 吉原仲ノ町の桜
吉原仲ノ町の桜についてです。

歌舞伎で吉原の場面を見ると、かならず出てくるのが桜です。吉原の華やかさを引き立てる最高の舞台背景ですが、
じつは、吉原仲の町に「桜並木があった」わけではないのです。
吉原の桜事情を書きます。

あの桜は、じつは毎年花の季節だけ植えて、花が終わると木ごと抜き去ります。毎年です。
おそらく専門の「木作り(造園業者)」のかたがまた専用の庭に植え直して、翌年咲かせて、また吉原に植えるのだと思います。
チナミにこれは寛延2年(1749年)から、江戸末期まで、100年以上やっていました。たぶん明治以降もやっていたかと思います。バブリー。



描いたのは「吉原雀」です。背景描いてないですが(笑)。
というわけで、仲ノ町のあの場所には、ふだんは桜はなく、四季折々のいろいろな花や木が植わっていたのです。
花壇や植え込みというよりも、ディスプレイと言った方が近いでしょう。

桜のほかに有名なのは花菖蒲で、これは旧暦の五月、六月(今だと6.7月ごろですが)に、ちゃんと道を掘って小川も作って水を流して橋をかけて、川のほとりに植えました。花がひと月もたないので、途中で一度植えた替えたようです。

七月(今のお盆の頃)は灯籠を出します。盆灯籠ではなく、この時期に死んだ玉菊(たまぎく)という美しい遊女を偲ぶもので、玉菊灯籠と呼ばれます。
今はまず出ませんが玉菊が主人公のお芝居も存在しますよ。
八月(今の9月、お月見のころ)は「俄狂言(にわかきょうげん)」が出ます。男女の芸者がそれぞれに可動式の小さい舞台の上でお芝居のまねごとをします。「俄」というのはもともと「即興」「アドリブ」みたいな意味ですが、お座敷での座興のちょっとしたお芝居のことをいうようになり、素人の芸達者が仮の舞台でお芝居の真似をするようなものを、総称して「にわか」と言います。
吉原のこのイベントでは、舞台を何台も連ねて、仲の町の茶屋一軒一軒の前で順番に出し物をやりました。

みたいのが主なディスプレイ&行事です。
ほかにも季節折々の草花を好きなように植えた(というか飾った)ことでしょう。

冬は、具体的な資料がなくて申し訳ないのですが、今の11月くらいまでは菊が植わっていたと思います。
菊は、珍しい品種を専門に栽培する業者がおり、咲いてから大きなお屋敷の庭に移植するような商売が盛んでしたので、吉原にも普通に植えたでしょう。
霜にあたると菊は赤く色が変わって美しいので、それを楽しみながら12月近くまで持たせたことだと思います。

お芝居の「菊畑」に「この花のあと(冬になって)もう花はないと思うとひときわ菊の色が心にしみる」みたいなセリフがあります。
菊の後、春の梅まで花はないかもしれません。
というように、吉原には、「桜並木」や「四季折々の花が咲く花壇や植え込み」があったわけではないのです。
わりと知られていない気がするので書きました。

ついでに、明治18年12月5日の吉原仲の町の描写をかいつまんで書くと、
道の両側にガス灯がずらりと並んで、見世先の提灯もあるので昼のように明るく、
さらに道のまん中(桜が植えられる場所かと)にもずらりをガス灯がならんでいる
というかんじです。
道はたいへんよく整備されていたようですが、草花についての描写はないので、明治18年、12月時点でとくに花は植えていなかったようです。
まあ明治ですから少し条件は違いますが(ガス灯とか人力車とか)、町全体の気風はまだ大きく変わっていない時期だと思うので一応書きます。
| comments(0) | trackbacks(0) | 00:41 | category: 江戸の遊郭 |
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