歌舞伎風俗通信

歌舞伎コラムです。
以前某雑誌に連載していたものの書き直し再録です。
その他いろいろうざいウンチクです。楽しんでいただけると嬉しいですー。
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# 幸四郎と団十郎のことを書いてみる

yahooトップに「染五郎と海老蔵」どっちが格上?みたいな記事が上がっていて笑ったのですが、
そんなん比べるまでもありませんがな。
とはいえ、せっかくなのでちょっと書きます。
当代の団十郎の襲名の前後の歌舞伎界のことです。
役者さん同士の確執なんていうとゴシップじみていてイヤな話ですが、
しかも当時は自分もそうとう子供だったので、ぼんやりと感じた程度なのですが、大事なことのような気もします。
当時の雰囲気を見て実感していなかったかたには、今からだとわかりにくいこともあるかなと思うので
中途半端ですが、資料的に書き残します。

幸四郎の襲名が昭和56年(1981)。
お父さんの先代幸四郎が白鳳を名乗り、息子の金太郎くんが染五郎にと、
三代そろっての襲名で、りっぱな襲名披露でした。
これで歌舞伎界も安泰だと誰もが思いました。
筋書きにも文部大臣はじめ演劇界の重鎮が祝辞を連ねて幸四郎の前途を祝いました。

染五郎時代の幸四郎は、テレビにも出ていましたし、ミュージカル「ラ・マンチャの男」やお芝居「アマデウス」なども絶賛されました。
歌舞伎の舞台の評価も高かったです。姿も声もよく、押し出しもりっぱで、時代物も世話物も新作もよく似合いました。
若手の幹部俳優の筆頭株だった「染五郎」が、いよいよ「幸四郎」になって、これから人気、実力両面で歌舞伎界をリードしていくのだろうと、みなが思って、楽しみにしていました。

その4年後に、団十郎襲名です。
海老蔵時代の団十郎は、あまり評価されていませんでした。
当時のイメージが強い年配のファンなどは、ずっと後になっても団十郎を評価せず、「声が悪い」と言ったものです。
実際声はよくなかったです。今だってほれぼれするような声ではないと思います。
ねこ背だったのも欠点でした。
今は肉を付けて押し出しのいいりっぱな雰囲気ですが、当時は細く、舞台ばえも悪かったです。

といか、今の海老蔵、菊之助、松緑の20代のころの「三人吉三」(大川端)を見たことがありますが、それなりのいい舞台でしたが、
同じ年代のころの、お父さんたちの「大川端」の写真を持っていますが、
写真でみてもひどいものですよー。若い頃はみなさんけっこう「やらかして」いらしたと思います(笑)。
ってこれは幸四郎関係ないですが。
この年代でも、染五郎はけっこう「ソツのない」役者さんだったと思います。

というわけで、「染五郎」の時代、幸四郎は完全に「海老蔵より俺のほうが断然上」だと思っていたと思います。
歌舞伎界を背負っていくのは俺だー。みたいな気持ちで張り切っていたことでしょう。

そして団十郎襲名。
昭和60年(1885)の4、5、6月と連続公演。さらに海外公演もありました。
幸四郎の襲名披露も本当に華やかだったのですが、団十郎襲名はケタが違いました。
舞台の外でもいろいろなイベントがありましたし、盛り上がりました。
祝辞も、当時の首相の中曽根康弘はじめ政治経済界のトップが名を連ねます。
当時の筋書きを両方持っていますが、4年の歳月を差し引いても、お金のかけかたが全然違います。
団十郎のほうの切符載せます。当時のフルカラー高いです。
いちばん安い3階席ですらこれです(笑)。



おそらく動いたお金もひとケタ違ったのではないかと思います。
客席の熱狂ぶりもすごかったです。
お小遣いを工面して3階席Bで見ていたワタクシは、熱狂のどさくさにまぎれて階段を駆け下りて、手摺間際で弁慶の六法を見ました。客席も総立ちだったのです。

この、襲名時の扱いの差も、幸四郎にはショックだったのではないかと思うのですが、
名前が変わってしまうと、以降、役の付き方が変わるのです。
幸四郎と団十郎が一座で出るときに、幸四郎に、団十郎よりもいい役が付くことはありません。
幸四郎の顔がつぶれない程度に、相応の役は付くのですが、やはり、一番いい役は団十郎に行ってしまいます。
名前というのは恐ろしいです。
これで、団十郎が幸四郎よりまずい役者さんだったら、むしろマシだったと思うのですが、
団十郎は本当に努力したと思います。工夫もしました。
「いい役者になる」ということもですが、「団十郎にふさわしい役者になる、団十郎にふさわしいお芝居をする」ということをつねに意識なさっていると思います。
筋書きの芸談などを見ても、周囲の役者さんへの気配りを忘れない人望のある様子が伺えます。

団十郎が、名実ともに歌舞伎界の中心としての役割を担っていくにつれて、幸四郎は、やはりおもしろくない気持ちのだろうなと、思います。

団十郎の襲名は、ずっと前から決まっていたはずなのに、なぜ幸四郎がここまで、青天の霹靂のようにショックを受けた(たぶん)かというと、
ずっと歌舞伎界には「団十郎」がいなかったのです。
「助六」も、菊五郎の「助六曲輪菊(すけろくくるわの モモよぐさ)」以外ほとんど出なかったのです。ありえねえー。

九代目団十郎が死んだのが明治36年。このあと戦争をはさんでずっと空位だった団十郎の名前を戦後になってやっと十一段目が継ぎますが、数年後になくなってしまいます。昭和40年(1965)。
十一代目は在位も短く、団十郎としての仕事を充分にやる前になくなってしまったので、むしろ襲名前の、「海老さま」としてのイメージのほうが強い役者さんです。
十代目は、九代目の婿養子にあたるかたでもともと素人だったかたです。名前は死後贈です。

というわけで、世間どころか、歌舞伎界全体が、「団十郎というのは何なのか」感覚的に思い出せなかったのだと思います。
まず、襲名してみて、形を整えてみて、はじめて、実感としてその大きさを知った部分があると思います。

数年前に三代目雁次郎が「坂田藤十郎」を襲名しましたが、これも本当に華やかでいい襲名でしたが、
雁次郎が藤十郎を復活させても、歌舞伎界に大きな変化はありません。
「雁次郎」自体がすでに充分に大きい名跡だからというのもありますが、やはり「団十郎」ほどの存在感はありません。
「団十郎」の名前は、やはり巨大です。

とくに思い入れもなく、なんとなく幸四郎(染五郎)や団十郎(海老蔵)を見ていたまだ子供だったワタクシですら、団十郎襲名前後の歌舞伎界の変化には驚きました。

当時の感覚を覚えている人間も減っていくのだろうなと思うので、上手く伝わったかわかんないですが、書き残します。

まあ、幸四郎という名前は、昔から団十郎に対してビミョウな立ち位置になっていて、
いろいろ葛藤があったみたいです。
六代目幸四郎と六代目団十郎のときもひどかった…(見たのかよ)。
| comments(2) | trackbacks(0) | 01:57 | category: 歌舞伎風俗通信 |
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コメント
なんか大間違いの記事で笑かしてくれますねえ。もっとしっかりお調べなさいな。当代の團十郎のほんとに評価を。だから息子に夢を託してああいうことになってるんです。

幸四郎と比べたいというのは、そのままコンプレックスのなせるざわですなあ。所詮、高麗屋の出だしね、今の成田屋。
| まる | 2010/12/26 9:59 AM |

歌舞音曲には全く縁の無い私ですが、どういう奇縁か、昭和60年に、東銀座の歌舞伎座で団十郎襲名講演を見ました。歌舞伎演目に関して全く無知ですが、思い出すと、「暫」の赤腹が印象に残っています。新団十郎は、声の甲高さと鎌倉権五郎の勇猛果敢さが個人的には少々しっくりこないな、という記憶があります。
| renqing | 2011/01/03 11:07 PM |

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