歌舞伎風俗通信

歌舞伎コラムです。
以前某雑誌に連載していたものの書き直し再録です。
その他いろいろうざいウンチクです。楽しんでいただけると嬉しいですー。
<< June 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
# スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | - | | category: - |
<< 「外郎売」について=「音韻論」= | main | 「外郎売」の衣装のそろえかた >>
# 女衒の話をしてみる
これもサイトのbbsで質問いただいたものです。
需要あるかわかりませんが上げてみます。

質問:江戸時代の女衒が女性を売買したときの金額を調べています。
文献を色々と漁っているのですが、花魁の揚げ代なんかは書かれているのですが、
少女が女衒に買われてくる際の金額を書いた資料が見つかりません。

*****
一応、見つけた資料
正徳元年(1711)紀伊の国の姉妹が、まず商家の下働きとして、セットで(おい)十五両で買われます。
ところがまだ子供すぎたので、江戸のお店の主人が「いらん」と言い、買ってきた手代ごと追い出します。
困った手代は姉妹を新吉原の遊郭に百五両で売ります。
新井白石の「折たく柴の記」の記述なので信憑性は高いです。原本残ってますし。
少女姉妹の年齢は書かれていませんが、商家の下働きには使えないていどの幼さです。

ただ、この値段は「遊郭が女衒に払ったおねだん」です。
一緒に江戸に出てきた父親がもらったのは七両にすぎません。
これも、姉妹がいくらで売られたか父親が知っていたからもらえた「破格」のねだんかもしれません。

あとは西鶴の「本朝廿不孝」の第二話に、吉野の貧しい娘(16さい)が親のために島原の茶屋に身売りするときのお値段が出ています。二十両で年季が10年です。性格はいいけど顔はフツウで技芸はできない設定です。
西鶴ですから同時代の「忠臣蔵」のお軽の身売りの値段(百両)よりは信用できます。
これが貞享4年(1688)、元禄の寸前です。

というわけで、
茶屋→女衒へのお値段には一定の相場があったと思いますが、女衒がムスメの両親に払う値段に相場は存在しなかったろうとワタクシは思います。
イナカモノでモノ知らずなほど損をする、でもあまり欲をかくと怖いお兄さんが出てくる、そういうかんじだったんじゃないでしょうか。
↑の、百両に対して七両くらいが、最大値ではないかなと想像します。
あと、「借金のカタにムスメを取られる」というシチュエーションはけっこうあると思いますが、これだとすでに間に「怖いお兄さん」が入っているのでけっこうな値段になったかもしれません(親の手元には一銭も入りませんが)。

ところで、
江戸でいえば信越や東北から子供を買ってきて(システムとしては期限付きの「奉公」=就職であって「代金」は「給与の前払い」なわけですが、それはおいといて)、遊郭で行儀作法や読み書きや遊芸を仕込み、大人になってからお座敷に出す、という流れを前提として「女衒が少女を買う」という話はあると思うのですが、
江戸中、後期になると遊女も芸者もかなりの割合で江戸産になりますよ。
あと、大人になってからの身売りが主流になると思います。遊芸は小金のある家の娘のたしなみとされたので、あらためて仕込む必要はありません。
むろん「禿(かむろ)」はいたのだから子供のうちからの奉公はあるわけですが(容姿と能力しだいで遊女と芸者に進路が別れる)、これも、江戸の子供が、商家に丁稚やお手伝いの奉公に行くのと同じ方向性での選択肢のひとつ、というかんじが多かったと思います。
「田舎の村から女衒が子供を買ってきて」というのとはニュアンスが違うかもしれません。
白石の記述の例からしても、遊郭で「奉公」したほうが全然換金率いいですから(笑)、首都圏の一般家庭の(ちょっと貧しい)子供もフツウに遊女屋に奉公に行ったのです。
娘を芸者にするために、自腹を切ってお稽古事をさせた親もけっこういました。

というわけで
地方の、「まっさら」な子供をわざわざ連れてきて一から仕込む、というシステムは、じつはそれほど多くはなかったかもしれません。

一応子供の「拘引」は御法度なので、リスクはかなり大きいのです。白石の本にこの事例が残っていたのも、ご法度の「拘引」をしたからです。
ある程度の年齢になってから自分の意志で女衒に付いて行くならいいのですが。


ある程度の大人の「身売り」相場、となると、これまた容姿や諸能力(読み書きや遊芸)によって差が出るのでなおさら一概には言えないと思います。
さらに中期以降は地方都市にもそれなりの規模の遊郭ができます。江戸や京阪などの大都市から地方の農村にムスメを仕入れには行かないかもしれません。

で、もちろん地方の遊郭と首都圏の遊郭ではおねだんが違います(遊ぶときの遊女の値段はあまり変わらなかったりするのですが)。
これはお芝居なので数字の正確さはアヤシイですが、「奥州安達ヶ原」に仙台は松島の漁師の奥さんが青森の遊郭に売られる話があります。3年年季で五両。安。
セリフに「この器量なら大阪の遊郭なら五十両は取れる」とあるので、まあそれくらいの差はあったかもなと思います。

で、「女衒がムスメや親と交渉して先に金を渡す」シチュエーションとは別に、「女衒」やちょっと体のいい「口入屋(くにゅうや)」をなかだちにするけど、遊郭と本人(家族)が直接交渉、というシチュエーションがあります。
この場合、間に入ったかたがたのマージンは普通、一割程度のはずです。タチの悪いのもいたとは思いますが(笑)。
もちろん女郎の取り分は、そこから祝儀だの衣装代だのが先に引かれるのでさらに減りますが、そのへんはご存じですよね(笑)。


そういえば、最初に出した姉妹の話ですが、
百五両の内訳は、
正確には手代を追い出したお店の主人が結局指示して娘たちを売り、
斡旋した女衒には34両、手代と父親に7両づつ、残りはまったく関係ない、お店の主人が独り占めにしました。どうなの。

チナミに紀伊から江戸に至る途中で「宿場で働かせるから二十五両で売らないか」とのオファーも受けております。
これはおそらく「宿場女郎」としてのおねだんです。
江戸吉原の5分の1、やっぱりお江戸は金になるなあ(笑)。


ところで、西鶴の「一代男」あたりに詳しく(笑)書かれていますが、その土地土地で、ふつうに売色は行われていたわけで、
「口減らし」とか「大人になるまで待てないから今すぐ換金」というミもフタもねえ事例ももちろんあったと思うのですが、
大都市の遊郭に娘を出して、一人前の遊女にするというのは、ちょっと出世願望もまざっていたりもあるのではないかと思ったりします。

=江戸時代の貨幣価値=
| comments(0) | trackbacks(0) | 18:10 | category: 江戸のうざいウンチク |
# スポンサーサイト
| - | - | 18:10 | category: - |
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://somikakuda.jugem.jp/trackback/100
トラックバック
Selected Entry
Archives
Comments
Mobile
qrcode
Search this site
Sponsored Links