歌舞伎風俗通信

歌舞伎コラムです。
以前某雑誌に連載していたものの書き直し再録です。
その他いろいろうざいウンチクです。楽しんでいただけると嬉しいですー。
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# 名前と官職の関係:01
「名前と官職の関係」

とある人力サイトの質問に答えた内容に補足したものです。

「・・・之助」「・・・之介」というのは長男オンリーの名前だというのは本当か、
次男以降に付けてはいけないのか、何か理由はあるのか」

という質問に対する答えです。

他の回答に「「スケ」は「二等官」を指すので、次男の名前」、という大うそ回答があったのを受けています。
ていうかそのデタラメ回答なかったら回答しなかった。

たしかに、「カミ・スケ・ジョウ・サカン」というのは1等官〜4等官を意味しますが、
次男=2等官って発想、ヘンですよね。
官職名が時代とともに人名に変わってきたのは確かですが、兄弟の序列とは当然無関係です。
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# 大江戸傘事情
以前、サイトのBBSでいただいた質問です。興味深いネタなので保存。

質問=江戸時代では坂本竜馬の古郷、土佐では「上士」という身分の高い武士は日傘を差してよかったらしいですね。
今の日傘は布製ですが、江戸時代には日傘はあったのでしょうか。(まあ菅笠とかはあったようですがね(^^))

回答です。
江戸時代も、雨傘のほかに日傘もありました。
布のじゃなく、紙製です。雨傘ほど防水してなくて、ちょびっと平たいカタチでした。
ただし、

「男は使っちゃダメ」

でした。
つかっていいのは女、子供、医師、僧侶だけです。






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# 鳴かないホトトギスについての誤解

「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」
以下3句、
有名な3人の戦国武将の、「鳴かないホトトギス」に対する三様の態度を描写した俳句は有名ですが、
一般的に思われているシチュエーションに誤解がある気がするので、書きます。

ホトトギスを鳥かごに入れてお城の大広間に連れてきて、「さあ鳴け」。
で、鳴かないホトトギス相手に苦慮するお殿様と家来

というのが一般的なイメージかと思いますが、
これ、アンデルセンの「ナイチンゲール」からの連想でしょうか?




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# 大江戸身分事情
とある質問サイトで回答した内容に書き足し、編集したものです。

「江戸時代、士農工商の身分を越えて、リクルートはできたのか」という質問への答えです。
他の回答に「『士農工商』は明治時代に作られ。広まった言葉」、というのが複数あったのも受けています。

「士農工商」は、明治に入って作られた言葉ではなく、ちゃんと江戸時代の書物にも出てきますよ。
ただ、使われかたのニュアンスが違うのです。

江戸幕府は、すべての職業をこの4つに分類して、全ての国民は、そのいずれかに属していなければならない、と言ったのです。
いわゆる、ちゃんと働いていない「遊民」を禁止したということです。

というわけで当時も「士農工商」は概念として存在はしたけど、「上下関係」というニュアンスは強くなかった、
と思う方が正しいと思います。
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# 女衒の話をしてみる
これもサイトのbbsで質問いただいたものです。
需要あるかわかりませんが上げてみます。

質問:江戸時代の女衒が女性を売買したときの金額を調べています。
文献を色々と漁っているのですが、花魁の揚げ代なんかは書かれているのですが、
少女が女衒に買われてくる際の金額を書いた資料が見つかりません。

*****
一応、見つけた資料
正徳元年(1711)紀伊の国の姉妹が、まず商家の下働きとして、セットで(おい)十五両で買われます。
ところがまだ子供すぎたので、江戸のお店の主人が「いらん」と言い、買ってきた手代ごと追い出します。
困った手代は姉妹を新吉原の遊郭に百五両で売ります。
新井白石の「折たく柴の記」の記述なので信憑性は高いです。原本残ってますし。
少女姉妹の年齢は書かれていませんが、商家の下働きには使えないていどの幼さです。

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# 商売往来
近所の図書館で弘化3年の本発見しました。1846年ですよ。
それが
貸し出し可とか!!
だいじょうぶなのか!!

「商売往来(しょうばいおうらい)」て本ですよ。
江戸時代の、商人育成用の入門書ですよ。
写メとってきました。
版木で刷られたリアル江戸時代の本です。
陳列用資料じゃないのか!!

右から

「商売往来絵字引(しょうばいおうらい えじびき)」
「商売往来(しょうばいおうらい)」
「商売往来(しょうばいおうらい)」の豆本版

ですよ。
内容は全部同じです。



借りて家に持って帰っていいらしいです。まじか!!
そんな勇気ないので、写メだけです。破損しても責任取れません。

紙の状態はこんなです。
紙をふたつに折って「わ」にしている部分が擦り切れて、
紙の裏側が見えてます。
紙もかなりぼろぼろです。
怖いから!!



…禁帯出にしたほうがいいと思います。



「商売往来絵字引(しょうばいおうらい えじびき)」は、
寺子屋で子供が使った絵入りのテキストです。
写真撮らなかったけど、裏表紙にへのへのもへじ系の落書きがあります。
子供という生き物は古今東西教科書に落書きをするものらしいです。

子供が喜びそうなカラー口絵。キャッチー!!



本文はフルカラーです。



チナミに文字だけ版の同じ部分は
こんなです。




同じ本が3冊あるわけですが、
1冊は文字だけのもので、これが原型の本です。
1冊は「商売往来絵字引(しょうばいおうらい えじびき)」と書かれた、絵入りのきれいな本です。
フルカラーです。
上2冊は標準的な和本のサイズですが、
もう1冊は豆本サイズの持ち歩き用です。
フトコロに入れてアンチョコにして使ったぽいです。



本文です。




序文を日本語にしてみました。
いや元のも日本語ですけどさ。

もと画像




それ書画の芸の大いなるや。これをのぶれば乾坤(けんこん)にまさり、これを巻けば懐中にかくる(隠れる)。五寸の筆管(ひっかん)をもてあそびて造化(ぞうか)の秘蘊(ひうん)を現し、三歳の童子をして億萬世の古人を友とせしむ。修身斎家の道を知り、貴賤上下の分をわきまうるも、みな書画の徳ならずや。
いにしへは縄を結びて篆書(てんしょ)おこり、
篆籀古文の八體分れて竟に(ついに)隷書の形に帰し、再び真行草の三体に移る。世の有様に従ひて変革する事此(かく)のごとし。
画もまた然り。その初め(始め)は亀卜(きぼく)によりて形を成し、終に山水に丹青(丹精)して水を治め、萬像を写して不易の規模をあらはす。
すなわち書と画とは車の両輪あるがごとく、しばらくも離るべからざるものなり。心動いて言葉を発し、言葉は文字に形を成す。書また変じて画にあらわれ、千代に八千代に礫石(さざれいし)の巌となりて苔むすまで、日の行く駒に片時(へんし)も離れず。士農工商(あらゆる職業でという意味)日用の、言葉の文字に形を画き(えがき)、令児愛娘(おこさんがた)の早解(はやわかり)。ちょっと画工の手を仮て(借りて)、
商売往来絵字引なり。

又玄斎南可式 またげんさい なかしき



=訳です=

そもそも(「それ」というのは文頭に付く接頭語に近く、あまり意味はないです)書と絵画という技術のなんと偉大であることか。書かれた書や画、それを広げて見れば、その内容は乾坤、つまり戌亥(いぬい)=北西から未申(ひつじさる)=南東の地平までの広さにも勝るほど雄大であり、これを巻けば、着物の懐の中の隠れてしまうほどの小ささになる。
五寸(16センチほど)の管でつくられた筆をもてあそぶことによって造化、つまりこの世に作られて存在するすべての事物の、隠された本質を表現し、3歳の小さな子供が何億何万世も前に生きた昔の人と友達になるようにもする。
身を修め(行動をつつしみ)、家を適正に運営する方法を知り、貴いひと、そうでないひと、それぞれ身の程を、自分でわきまえるようになるのも、みな書や絵の与える教養のもたらすすばらしい部分ではないだろうか。

大昔は、縄を結んで形を文字の形を作り、そこから篆書(てんしょ)という字体が発展し、そこから篆書、籀書(ちゅうしょ、大隷(だいてん)とも言います)、古文(こぶん)、(ほかに、小隷(しょうてん)、章草(しょうそう)、飛白(ひはく)、八分(はちぶ、隷書のことです)、行書(ぎょうしょ))が分かれ、最後にまたもとの隷書の形に戻り、さらに真書(楷書)、行書、草書の3つの形体に移行した。
世の中の様子の変化にしたがって文字が変わっていくことは、この通りである。
絵画もまた同じである(時代に沿って発展する)。その起源は亀の甲羅を使った卜(ぼく)占いから絵画の形を取るようになり、
 ※甲骨文字はむしろ文字の起源ですが、ここでは象形文字の一種として原始絵画のように書かれています。
ついには
・山水画に丹(赤い絵の具)や青の色とりどりの絵の具を使って水の様子を自在に表現し
・丹精をこめて山水の景色を表現して水の様子を自在に表現し
 ※どちらにも取れます。「丹青(丹精?)」の解釈次第かと思います。
すべての事物の姿を絵に写して、変わることのない標本としてそれを表現する。
つまりそのように、書と絵画とは車に両輪があるのと同じように(一体のもので)少しの間もはなれることのできないものである。
心が動いて(その言葉が)言葉を発し、その言葉は文字として形を作る。書はまた変化して絵画になって現れ、(そのように書と絵画は)千代に八千代にいつまでも、さざれ石が巌となって苔がむすという(古歌にもある)例えのように長い間、また、馬が走るように早くすぎる日々に一瞬もはなれることはない。
 ※ここまでは、書(文字)と絵画の価値についての文章です。以降、そのすばらしいものである絵と字を使った 
 本書についての宣伝文句になります。
このようにこの本は、士農工商の全ての職業が日用に使う言葉を集めて、まず文字で表現し、さらに、みなさまのお坊ちゃんやお嬢さんたちがすぐに理解できるようにちょっと画工(絵描き職人)の手も借りて絵を付けて(完成させました)。
商売往来(商売入門書)という(名前の)絵付きの字引です。

署名の「又玄斎南可式」というのは筆者のペンネームです。あまりまじめに付けた名前ではないと思われます。



説明です。
江戸時代の出版物には、ほとんどにこのような序文がついています。かなりくだけた本でも付いています。
書体や文字の大きさも本文よりも改まったものす。
内容は、読者へのごあいさつというか、宣伝文です。
この序文は、前半は堅苦しい文章で書と画の芸術的価値や、それによって得られる教養のすばらしさを書いています。
ただ、この部分は「こけおどし」というか、権威付けのような部分で、むしろお約束の形式でもあります。
本題は最後の数行の「お子さんたちの早わかり」以下の部分で、ここで一気に文体もくだけた感じになります。
前半の仰々しい部分と後半とのギャップも、計算されたものです。

そして、後半部分は当時の教育産業がそれなりに親に媚びていたことも伝わってくる、興味深い文章だと思います。


おもしろいので続きます。
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# 「商売往来」2
昨日上げた「商売往来」の続きです。
序文とその訳上げたので、本文の一部を上げてみます。


そもそも、「商売往来(しょうばいおうらい)」というのはどういう本かというと、
「往来もの」と呼ばれる一連の入門書のひとつになります。

もともと「往来」というのは、「行ったり来たりするもの」という意味から、手紙を意味します。
ふつうに「往来の(手紙の)巻物」のように使います。
室町から江戸にかけて、初等教育のために手紙文の定型を何パターンも書いた、習字のお手本が作られました。
「庭訓往来(ていきんおうらい)」という本がその代表です。
「庭訓(ていきん)」というのは、家庭でのしつけや学習のことです。
「家庭で学べるお手紙パターン練習帳」です。

ただし、この「庭訓往来」は、全て漢文です。
お侍が書く儀礼的な漢文の手紙の手引書です。
しかも、江戸中期にはすでにお手本の文面が難解すぎたらしく、いくつも解説本が書かれました。
ワタクシも「庭訓往来」は見たことがなく、江戸期の解説書を2冊見たことありますが、
…解説本自体が難解すぎでした。たすけて!!

まあとにかく、
これら「往来もの」の流行からの派生で、初心者向けの教育本には、
手紙には関係なくても「○○往来」と付けるようになりました。
この「商売往来」も、そのひとつであろうと思います。

もともとの、文字だけの「商売往来」は、
本文見るとわかるように、ただの単語の羅列です。
こんなです。



この画像のさいしょの部分だと
「粉薬 散薬 膏薬 全以(まったくもって)偽薬種不用(もちいず)量入(かけいれ)之無様正直第一也」
とか書いてあります。薬屋さんの章です。
そのあと山海の魚鳥の名前がずらっと並んでいます。

このように、基本的には商売で使う単語や商品名を全て並べて覚えさせ、
書類や手紙を書くときに困らないようにした本なのでしょう。
そういう意味では「往来」というタイトルにも沿っています。
覚えきれない人のために、豆本が作られたのでしょう(笑)。

「絵字引」のほうは、同じ内容のひとつひとつの単語に、説明用の絵と、解説が付いています。




テレビも写真もない時代ですから、身の回りに存在しないものについて知るのは難しかったです。
なので、このような絵つき本で、世間一般にある「品物」についてのひととおりの知識を得ておくことは
非常に有用だったろうと思います。


こういうものは、寺子屋で教科書にしたらしいです。
商人の多い地区では商業高校的な寺子屋があり、
「商売往来」はそういう場所で使うために作られたようです。

最後の「おくづけ」と見ますと、京都と江戸の職人(文章、画、彫師、刷師であろうと思います)の名前とともに
最後に版元の名前が書かれています。
住所に「・・・上ル」とあるので、京都の版元ではないかと思います。


「商売往来」はバリエーションが多く、
ほかに明治時代に書かれた「世界商売往来」というのもあります。
「世界…」のほうは、世界の貨幣と日本円との相場や、
西洋の品物の説明が並んでいます。
明治初期の貿易業務に使われたマニュアルということだと思います。


序文のあとに、まず格言ぽいのが掲載されています。
ここからが本文になります。
画像です。
じっさいは挿絵はきれいなフルカラーです。




=禮(礼)=
あめつちと 分かれし中の 人なれば 下を恵みて 上を敬へ
あめつちと わかれしなかの ひとなれば したをめぐみて うえをうやまえ

 「あめつち」は「天地」と書きます。天と地の間、この世界全体を意味します。

訳)天と地と分かれているこの世界。そこに住む生き物の中で人はわれわれは人として生まれてきた。
(運良く)人として生まれてきたのだから、りっぱに生きなくてはならない。
そのためには、自分より立場の弱いものには優しくしていろいろやってあげるようにし、自分より立場が上のものには敬意をもって接するのがよい。

※仏教の有名な言葉に、
「人身受けがたし、今これを受く。仏法受けがたし、今これを受く」というのがあります。これを意識しているのだと思います。



=楽(がく) =
糸竹は おさまれる代の もてあそび あそびと知らば ほどをすごすな
いとたけは おさまれるよの もてあそび あそびとしらば ほどをすごすな

 「糸竹(いとたけ)」は、糸で音を出す三味線と、竹で作られた笛です。楽器全体を意味し、さらに意味を広げて歌や踊りなどの芸能関係の娯楽を指します。
江戸時代はこれらのお稽古ごとがとても盛んでした。

訳)芸能のお稽古ごとは、十分に統治されて平和な時代だからこそできる、生産性のないひまつぶしのようなものである。
ただの遊びだということを理解したなら、(恥を書かない程度に練習するのはよいが)度をこして夢中になってはいけない。




=射=
弓束ね 矢をはぐわざは 知らずとも 心の的を 違へぬぞよき
ゆみつかね やをはぐわざは しらずとも こころのまとを たがえぬぞよき

弓矢について書いていますが、武道全体について言っていると思っていいでしょう。武道は武士のものですが、日本中に町道場や武道の稽古のサークルのようなものがあり、誰でも練習することはできました。
とくに弓矢は、当時は矢場(やば)などの遊び場もあって、誰でもやったことがある身近な娯楽でもありました。

訳)弓をにぎり、そこに矢をつがえる方法を正しく知っていれば、それはかっこいいことだが、
それができなくても、生きていく上で正しい目的を持ち、その目的(心の的)をはずさないようにする事こそがりっぱで大切なのである。



=御=
世をわたる 人の心の 離れ船 乗り違へてぞ あやふかるべし
よをわたる ひとのこころの はなれぶね のりたがえてぞ あやうかるべし

この「御」は「ぎょ」と読んで、人間関係を御す(うまくあやつる)というような意味でありましょう。

訳)世の中の人と人との間をうまく渡って生きていくことを、船で川を渡ることに例えるならば、
人の心は簡単に離れていくもので、ひとつ間違えると離れ舟のように一人でただようことになってしまう。
間違った船に乗って(間違った行動をして)離れ舟になってしまうことは、じつにあぶなっかしい事である(気をつけなくてはいけない)。



=書 =
読み書きを 宝の山の 麓とも 知らでのぼらぬ ひとのはかなさ
よみかきを たからのやまの ふもととも しらでのぼらぬ ひとのはかなさ

訳)読み書きができることは生きていく上でとても有利なことである。いろいろな情報を得てうまく行動し、お金を儲けたり、それ以外にもいろいろ大事なものを得ることができる。
それを知らないで勉強をなまけ、がんばれば登れる宝の山に登らないひとの人生は、本当にはかないものであるよ。



=数=
そろ盤に もれたる者(物)は なき物を いやしきわざと いふぞ理なき
そろばんに もれたるものは なきものを いやしきわざと いうぞわりなき

訳)世の中のいろいろなもので、数字に無関係なものなどない。また、お金に無関係なものも存在しない。
そのようにそろばん(数字やお金)はとても大切なものなのだが、それを扱う商人の仕事を身分の低いいやしいものだとバカにする考え方がある。理屈に合わないことである。



=江戸時代の人々は、こういう格言的な和歌調の文章を好みました。
掛け軸に書いて自戒のためにかけておいたりもしました。
そういう文化の中で作られたものだと思います。
どれも含蓄に富み、現代にも十分に通用すると思います。。





本文の最初のほうです。
画像です。




見やすいように単語に分けてみました。
なんとなく意味はわかりそうに思うので、訳はつけませんでした。

しゃうばい わうらい えじびき
商売 往来 絵字引

およそ しゃうばい もちあつかふ もんじ かんず とりやり の にっき
凡 商売 持扱 文字 算数 取遣 之 日記

(絵)

これ しょこく えんきん わうらい あるい(は)せいう ちめい じんめい(を) しるす
是 諸国 遠近 往来 或いハ 晴雨 地名 人名を 紀

しゃうもん
証文

(絵)


いへくら ぢしょ えいだい うりわた(し) ある(ひは) きんぎんしゃくやう (その)ほか てがた(の) ぶんしゃうもん なり
家蔵 地所 永代 売渡し 或いハ 金銀借用 その外 手形の 分証文 なり

ちうもん
注文

(絵)


ちうもん(は) いっさい しなもの すんぽう (又) いろ (不明) もんどころ このミ(ホん)
注文ハ 一切 品物 寸法 又 色 (不明) 紋所 好ホん


余力があったら全文書く日が来る
かもしれません。




=変体仮名について=
昔の文字をごらんになって、見慣れないぐにゃぐにゃ感から「崩し字」だと思うかたが多いのですが、
これは「変体仮名」と呼ばれる、当時の文字です。
この教科書に使われているのは、かなりきれいな形の読みやすい文字です。
現代人が想像している以上に、今の文字とは違う形をしています。
漢字をそのまま音だけ取って「かな」として使っているものも多く、漢字の形が中途半端に崩れている状態が、独特のこのぐにゃぐにゃ感です。
現代活字版と、変体仮名版とを見比べて、形の違いを比較してみるのもおもしろいかと思います。


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